滝山城跡とは?

滝山城跡は、現在の八王子市丹木町にあった戦国時代の山城です。
国史跡に指定されている滝山城跡は全国でも有数の中世城郭跡といわれています。
その中心部に位置する都立滝山公園は、昭和40年代に5000本ものソメイヨシノやヤマザクラが植樹された都内有数のサクラの名所です。

滝山城は、永禄6年〜10年の間に、越後の上杉謙信に対応するために築城されたという説があります。
近年の研究によると、その後、恩方の浄福寺城に居住していた北条氏照が滝山城に本拠を移し、拡張・改修したと推定されています。
滝山城が築かれた加住丘陵は東西に長く、北は多摩川に侵食された断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。このような自然地形を利用し、複数の曲輪を巧みに配し、堀切、空堀、土塁、馬出、堅掘、木橋、引橋などで構築したのが滝山城です。

ちなみに、滝山城は戦闘のための要塞だったので、一般的にお城と聞いてイメージされる天守閣は無かったと思われます。

滝山城が最も危険な状況に置かれたのは、宿敵である武田信玄が攻めてきた時です。甲府を拠点に将軍を目指す武田信玄と関東制覇を狙う武田信玄と、北条氏照は永禄12年(1569)に衝突します。
しかし、武田軍は滝山城を落とすまでは攻めることができず、3日目には小田原へ向かって進軍していきました。一般的に、武田軍は滝山城内の千畳敷まで侵攻したと言われていますが、実際の攻撃は、このように滝山のふもとの滝山街道で食い止められたようです。

武田信玄との戦いで滝山城の弱点を痛感した北条氏照は、天正10年から12年頃に、より攻められにくく、さらに鉄砲戦に有利になる工夫をこらした八王子城を築城し、拠点を移したのです。